お施餓鬼とは、お盆というイメージが強いですが、本来はいつ行っても良い 例えば、海、山仕事や家畜などを生業にされている方は、知らず知らずにその世界の生き物を殺生していたり、住処を奪ったりしているなので、そこにいる魑魅魍魎(悪いものだけではない)や亡くなったものに施しをする そうすることで自分に対したり周りに対して害にならない 我々は、常に何かの犠牲や生き物のおかげで暮らしているので こういった施餓鬼供養(亡くなったもの何かを施す)する気持ちを忘れています 例えば、動物を車でハネてしまった方が、おはらいをしてほしいと来るとします おはらいしたものはどこへいくのでしょうか?怨みや辛い気持ちがあったらどうなるでしょうか?そのものにまず施餓鬼を行うことをすすめます 亡くなったものの気持ちになるのが施餓鬼の本質です